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 2006年09月

2006年09月15日

気がつくともう、

気がつくと、もう、暑い夏がすぎ秋風のふく………。
この二ヶ月、ほとんど生活の記憶がありません。ことばの世界をさまよっていました。
中経文庫が発刊され、そこにおさめる『この小説の輝き!』のために「人生は………」を大幅に書き直し、毎日新聞社から出す『だれでも人は時代小説に出会わねばならない』にいれる新聞・雑誌連載原稿を書き直し、二つの新書『藤沢周平のことば』新潮新書・『藤沢周平という生き方』PHP新書のために、ひさしぶりに藤沢周平全集を精読し、メモを作り、原稿を書き………。
連載原稿はもちろん、講演、インタビューもなんとかこなし、途中、パソコンが死に、………。
とまあ、そんなこんなな、二ヶ月でした。
とはいえ、仕事はかたづかず、ふたたび沈潜します。
これからの一日、長塚圭史のパンフレット用の文章を書き、インタビュー原稿の手直しをし、台風襲来の日に予定されているドイツ人監督の村上春樹追跡映画出演のための準備をします。こんな日がつづき、あっという間に、「教員」の日々に突入です。
では。

「グラフィケーション」連載の15回目です。

鬼があらわれ、時代がうごく
――――野火迅『鬼喰う鬼』における「迅速」さをめぐって
                                 高橋敏夫

 野火迅の物語の特徴は、まずなんといっても、その「迅速」さにある。
 スピード感あふれる稀有な文体が「迅速」さを演出しているのはたしかだが、むろん文体は「迅速」さそのものではない。人々のすばやいアクション、出来事の高速展開、ときてもまだ、野火迅の物語の「迅速」さの秘密にはとどかないだろう。
 おそらくそれは、奇異なるもの、異形のものの、有無をいわさない出現にかかわっていると、わたしには思われる。
 世界の全否定者と全肯定者のあらそいを果敢にえがき、埴谷雄高の『死霊』の時代小説版とでもいうべき傑作『仏鬼』を書いた野火迅の新作は、『仏鬼』以上に「迅速」さが顕著となり、物語の冒頭から、はやくも鬼の出現となる。
 貞元二年(九七七)の冬。深夜、郡司のもとに息せき切って参じた郎党が、初子の出産を告げた――。

その報に、郡司の否瀬俊兼は奇怪な反応を見せた。太い眉を逆立て、白く燃える目で宙の一点を睨んだ。その形相が、仕事机の傍らに立てた灯の火影に映り出た。郎党は、眉をひそめつつ、おずおずと祝辞を述べた。……だが、俊兼は一言も返さない。両手に持った木簡を無造作に投げ出して立ち上がると、無言のまま、異様に力のこもった様子で刀剣を佩いた。唖然となった郎党を尻目に、大股に館内を突っ切って庁舎の外に出た。あとを追った郎党が鞍の用意をするまでもなく、俊兼は、すでに裸馬に飛び乗っていた。蝦夷の血を引く俊兼は、裸馬をまったく苦にしなかった。(中略)
何かに憑かれたように馬を駆る一方、俊兼の頭は鋭く冴えていた。おのれが直面しつつある現実がいやというほど見えていた。
(生まれてくる赤子は、この手で殺さなければならない。殺さねば、わが身の破滅)

 鬼が出現した。もはや、だれにもとめられない。「迅速」さは、いかなる説明をも遠ざけ、出現の事実だけをもたらす。


 (この手で殺さなければならない)と言い、さらに(ようやく、生まれる。この時を待っていた。生まれた子を殺すために)と反芻する俊兼は、ふつうの時代小説ではじゅうぶんに鬼であろう。
人の常識を裏切る異様なふるまいと異様な形相、そしておそるべき言葉。しかも、それらひとつひとつが、かたわらでみまもる郎党のおどろきによって、いっそう奇異さをきわだたせられる。
とはいえ、いかにも鬼らしい俊兼は、しかし「鬼」ではない。 「鬼」は、物語がはじまる前に、すでに出現していた。郎党の告げた「初子」がそれである。
 だがしかし、「鬼」は、けっして俊兼と無関係ではない。俊兼だけではなく、おどろく郎党も、子を生んだ妻も、そればかりか遠く離れた都に住む藤原道長も、陰陽師安部清明も、台頭する武家集団も、圧政に苦しむ庶民も、あるいは……この時代を生きるすべての者が、「鬼」にかかわる。だとすれば、それらすべての者のかかわりそのものが、「鬼」をうみだすのではないか――有無をいわさず出現し、物語の「迅速」な展開によって、同時代の領野へまたたくまにひろがっていく「鬼」こそ、『鬼を喰う鬼』にえがかれた独特な「鬼」なのである。
 「鬼」といえば、わたしにとってはまず、馬場あき子の『鬼の研究』である。
 一九七一年、壊滅してゆく社会反乱への鎮魂歌のごとくあらわれた『鬼の研究』。鬼を「王朝繁栄の暗黒部に生きた人びとであり、反体制破滅者ともいうべき人びと」と端的に規定し、「過去の時代に跳梁跋扈し、またつぎつぎに消滅・誅戮の運命に服した鬼どもへの深甚なる哀悼追慕の挽歌」としての「中世における〈鬼の哲学〉」に、みずからをかさねた『鬼の研究』は、鬼どもの跳梁跋扈をつぎのようにえがく。
 「藤原道長が、『この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば』という大胆不敵な奢りの一首をものした時代、すなわち一条天皇の時代くらい、藤原一門の繁栄をよそに〈鬼〉の跳梁のめざましかった時代はない。しかも、かつての、延喜・延長の治世に、わずかに足跡を止めることによってしかアッピールを果たしえなかった〈鬼〉は、今はまさに堂々たる兇族に成長して、深夜の京洛を走り、山岳部に蠢動する。権門を守る勇武の名将は輩出し、頼光・頼信・保昌・維茂をはじめ、その身内の屈強な武者たちの勇名は、ことあるごとにところどころにとどろきながら、なおかつ〈鬼〉は現実に跋扈していたのである」。
 決然として精彩をはなつ、みごとな記述である。ここに、奇異なるもの、異形なるものの出現をもたらしてやまぬ「迅速」さの原型をみてもよいだろう。
 じっさい、『鬼を食う鬼』があつかうのも、この藤原道長時代の「堂々たる兇族」の跳梁跋扈である。兇族たちの「深夜の京洛を走り、山岳部に蠢動する」さまが、あざやかにえがきだされる。

3 
 しかし、『鬼の研究』が「鬼どもへの深甚なる哀悼追慕の挽歌」であり、鬼どもの跳梁跋扈にはかならず滅びゆくものへの深い哀惜がこめられていたのにたいし、『鬼を喰う鬼』にみちみちているのは鬼どもの壊滅への哀惜というよりは、むしろ鬼どもの出現への抗しがたい期待である。
 『鬼を喰う鬼』は、そのタイトルどおり、鬼を誅戮するのもまた鬼であるとして、鬼の断絶ではなく鬼のはてしなき連鎖、すなわち鬼の遍在をえがきだす。
 いわゆる「酒呑童子退治」のヒーロー源頼光こそ、じつは鬼の首魁酒呑童子(ここでは朱天童子)の子源雷光だったという、じつに興味深い読み替えをおこなったうえで――蝦夷をはじめ王朝に滅ぼされた先住民族から、従来の土俗的な鬼、修験道系や仏教的な鬼はもとより、賎民や盗賊などの人鬼、さらには独立しはじめた武家集団などをつぎつぎに「鬼」としてとりこむ。おそらくは、『鬼の研究』以後あらわれた、トポロジカルな鬼論、鬼=疫病説などをふまえつつ。
 物語の終わり近く、源雷光は、朱天退治の仲間、金時や太郎坊にむかって問いかける。「朱天童子は、いったい、何のために人の世に現れた。あやつは、都を燃やし、御所を盗み、拉した高家の上臈を喰ろうただけではないか。心も道もない、無情の天災のごときものじゃ。そもそも、人界と関る理由のなき者であろう。そして、その種を受けたわしとて、人界に関らざるべき者。……この戦は、人の世にとって何らの意味もなさぬ。この戦がもたらしたものは、修羅だけじゃ」。
 すると、太郎坊が言う。「天は、人の世を荒らすばかりではないぞ。人の世に何か大きな変革が起る時、その前触れとして、天には大きな異変が起る。その天変は、人力を超えた無情の力を及ぼして人の世の変革をうながす。それなる無情の力の現れ方は、様々だわ。人の姿をなした鬼というのも、そのひとつであろう。……その鬼とは、源雷光、なれであろう。……朱天を人界に送った天意は、朱天みずからも覚えなかったであろう。雷光よ、考えてもみよ。朱天が現れたからこそ、なれは生まれた。朱天が鬼の世をもたらしたからこそ、なれは、源氏の長となり当代一の武将とはなった。朱天は、なれが人の世に変革を起すための花神のごときものだわい」。
 太郎坊の導きによって、「鬼」のなにものかをつかんだ雷光は、源頼義にむかって言い放つ。「阪東へ行く。やれるものなら、武士の世を作る働きをしてやろう」。
 物語は、雷光の残す「阪東にて、源氏を待つ」という謎めいた言葉の揺曳を、義経のうちにみいだして終わる。
 だとすれば、太郎坊が喝破した「天」とは、「人の世」の従来の因果がもはや通用しなくなったときあらわれるまったく新たな「人の世」、いまだ「人の世」の姿かたちをもたない新たな「人の世」であることがはっきりする。「鬼」は、その「迅速」なる出現のうごきに、異形の姿かたちをあたえる。
 時代がうごき鬼があらわれるのではない。異形の鬼があらわれてはじめて、わたしたちは、まったく異なる領野へと時代がうごきだしているのに気づくのである。