再開、再会 2013年7月22日
わたしの新しいインタビューが、以下に公開されています。
http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=249
わたしの新しいインタビューが、以下に公開されています。
http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=249
みなさん。
ひさしぶりの書き込みです。
後退戦がつづく、つづく。
もうどこまで退いたか……。
どこから退いたのか、はっきりしませんが、よりよい後退戦であることだけを日々、願っています。
ただ、書くことだけ、です。
今年の大きな仕事は、「松本清張の最暗黒」「ヤンソギル論」です。
それに、あっという間にみえなくなった「蟹工船」をふくむ「プロレタリア文学という体験」です。あくまでも初期の「自然発生」的状況下の表現に光をあてたいと思っています。
さあ、今日は、夕方までに「週刊現代」の書評を書き上げ、夜から明日にかけては「グラフィケーション」連載の原稿、今回は桜庭一樹の『伏』をとりあげて、いろいろ考えてみたいと思っています。そのあと、名古屋講演、所沢講演、宇都宮講演……来週もどこかで、後退戦をたたかっています、いるはずです。
声をかけてください。
宇都宮で、餃子でも食べながら、明日の前進的後退戦の話でもしましょうか。
ずいぶんながく更新できませんでした。
また、いろいろ書きます。
再開! 再会!
2009年には、これまで三冊の本を出しました。
1 藤沢周平《人生の愉しみ》(三笠書房知的生き方文庫)
2 藤沢周平の言葉(角川SSC新書)
3 「いま」と「ここ」が現出する 高橋敏夫書評集(勉誠出版)
現在は、『プロレタリア文学という体験』と『藤沢周平を語り尽くす 高橋敏夫全講演集』とを準備しています。
このところ時代小説関係の講演で、各地を飛び歩いています。今年は、一年で八〇回ほどの講演会です。会場で声をかけてください。
高橋です。
何ヶ月ぶりかの書き込みです。
前のホームページhttp://takahasi-tosio.com/は、、更新の入金がわずかに遅れただけで、誰かにアドレスを買い取られてしまいました。そして、妙な販売関係ホームページにされてしまいました。
多数の訪問者から、「高橋は怪しげな商売をネットで始めた」と非難されてしまいました。
そこで、http://takahasi-tosio.net/ にして再開することにしました。
あっという間に2月。この間、2冊の文庫・新書をだしました。
春まで、書き下ろしの連続です。
管理者が掲示板なども少しずつととのえてくれることになっています。
では、また。
気がつくと、もう、暑い夏がすぎ秋風のふく………。
この二ヶ月、ほとんど生活の記憶がありません。ことばの世界をさまよっていました。
中経文庫が発刊され、そこにおさめる『この小説の輝き!』のために「人生は………」を大幅に書き直し、毎日新聞社から出す『だれでも人は時代小説に出会わねばならない』にいれる新聞・雑誌連載原稿を書き直し、二つの新書『藤沢周平のことば』新潮新書・『藤沢周平という生き方』PHP新書のために、ひさしぶりに藤沢周平全集を精読し、メモを作り、原稿を書き………。
連載原稿はもちろん、講演、インタビューもなんとかこなし、途中、パソコンが死に、………。
とまあ、そんなこんなな、二ヶ月でした。
とはいえ、仕事はかたづかず、ふたたび沈潜します。
これからの一日、長塚圭史のパンフレット用の文章を書き、インタビュー原稿の手直しをし、台風襲来の日に予定されているドイツ人監督の村上春樹追跡映画出演のための準備をします。こんな日がつづき、あっという間に、「教員」の日々に突入です。
では。
驚いた人もいるはずです。
掲示板、エロサイトの書き込みで荒らされつづけたので、一時閉じることにしました。
米友さん、おーつかさんほか、またお会いしましょう。
管理者のMくん、毎日、エロサイトとの格闘、ほんとうにごくろうさまでした。しばらくは、安眠できますね。
さて。
「論座」で早稲田の改革についてのアンケートを求められました。以下のように書きました。
(1)ベストセラーに疎く、自己紹介がへた。大勢を前にカメラのシャッターを押すのが苦手で、不必要に群れたがらず、月2万円の食費で暮らす友人がいて、突発的な出会いを除いて恋愛とはほぼ無縁にちかい。下層や下流を自慢し、運動は見るからに不得手、自分の「壊れ」を楽しみ、ときに中野のまんだらけにあらわれ、ときに『監獄の誕生』に読み耽り、権威と差別に執拗に反発し、「他人には絶対言えないなにか」を心に封印するがゆえに、ことばや映像はもちろん身体や環境にいたるまで、従来にはない表現のあり方に激越な関心をいだく……これが、わたしのみるごく平均的な文学部生像です。作家やライターや編集者、研究者や活動家、劇作家やゲームクリエーター等が続々生まれるのは当然。ほんとうに驚くべきはここから「ごく普通」の会社員やフリーターが誕生しつづけていることでしょう。こうした人々がいなかったら、ニッポンの「ごく普通」はもっともっとむごたらしく保守化しているにちがいありません。わたしは、「文学部的なもの」の学部・大学を越えたさらなる増殖、をくわだてたいと思います。
(2)「文学部的なもの」をめいっぱい体現する愛すべき学生、教員の居場所を奪う改革でないことをねがっています。
加藤典洋さん、石原千秋さんらが、学生は勉強しないと怒っているのに対し、正反対のことばを連ねました。もちろん、本心です。うそではないのですよ。
じつはこのことば、土曜の夜の文学史の講義のクラスを思いうかべながら、書いたのでした。土曜の夜というのに、大教室がいっぱい(260名)。みんなよく話しに参加してくれるので、ぼくは、いつもはりきりすぎてしまう。とくに、前から4列ぐらいの、およそ50人ぐらいの人々のいきいきとした表情に反応していたのでした。
ところが。
先週は教場レポートでした。総まとめとして、ぼくは、林達夫の「デカルトのポリティーク」について話をしようと、意気揚々と部屋に入っていきました。
なにかいつもの雰囲気とちがう。なんだ、この空気は。部屋を見渡した。すると、いつもの50人が、一人を除いて消えうせ、まったく見たことのない学生たちがすわっているではないか。その人に聞くと、「前にいた人たちみんなもぐりだったんでしょう」という。君だけはちがったんだというと、「いえ、わたしももぐりです」。
さて。
してみれば、アンケートに答えて書いたぼくのことば、まちがっていたのでしょうか。それとも。
しかしなあ、いったいあの人たちどこからきたのでしょうか。そういえば、ここ5年ばかりずっと、しずかに座っていた人もいたなあ。
うれしいような、かなしいような。
6月17日、18日の社会文学会の大会が終わりました。
昨年の大会、姜 尚中さんに来てもらいながら、大隈講堂に50人ばかりしか集まりませんでした。
今年は、文学部453教室で、300人以上の参加でした。鎌田慧さん、梁石日さんも、とても反応がよくって、話して楽しかったと。
みなさん、ありがとう。基礎ゼミも、日文ゼミも、ホラー論も、文学史の諸問題も、みんな参加してくれてありがとう。
と、お礼をいいながら、ぼくは大会終了後、倒れこんでしまいました。過労からくる発熱。にもかかわらず、襲い掛かる締め切り。なんとか、寝ながらパソコンたたいて、書き上げた……。
さあ、なんとか回復せねば。
気がつくと、5月の連休も終わり。
教員の4月は「瞬間」に等しいことを、今年も痛感します。
ただし、この間、原稿はしっかり書きました。
「破戒」論、梁石日論、在日朝鮮人文学論、松本清張論、「男たちの大和」(ああ、いやだ)論、それから、時代小説をめぐる連載を三本、演劇評、福田善之との対談、など。
単行本一冊半ぐらいの枚数になりますが、書下ろしはまったくすすまず、すみません、Mさん、Kさん。
なのに企画は、うそのように舞い込み、現在、文庫三冊、新書二冊、単行本三冊になってしまいました。
ええい、といつもの、小さな破裂から、数日、本当にひさしぶりに、ホッブス、スピノザ、ルソーを読み耽りました。もちろん、リヴァイアサン、国家論、社会契約論です。
昔ひいた傍線とはまったくかさならない部分に赤いマーカーを引き、そこにぼくじしんの関心の変化と、時代の関心の変化をよみとらないわけにはいきませんでした。
いったい、なんというところにきてしまったのだろう……。
昨日は、卒業式でした。
大学でいつも顔を合わせていて、いないことなど想像できないような人たちが、今日をかぎりにこの空間から消えていくことの不思議。
最後にちょっと話した、YAさんは暗い銀座のOLで、TUくんは花のフリーター、TAくんは福岡で悩める教員、……さあ、みなさん、新しい場所に、忽然と出現しましょう。
ああ、今年も桜の森の満開の下、惨劇の季節がやってきた。