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 2006年05月

2006年05月08日

いつのまにか

気がつくと、5月の連休も終わり。
教員の4月は「瞬間」に等しいことを、今年も痛感します。
ただし、この間、原稿はしっかり書きました。
「破戒」論、梁石日論、在日朝鮮人文学論、松本清張論、「男たちの大和」(ああ、いやだ)論、それから、時代小説をめぐる連載を三本、演劇評、福田善之との対談、など。
単行本一冊半ぐらいの枚数になりますが、書下ろしはまったくすすまず、すみません、Mさん、Kさん。
なのに企画は、うそのように舞い込み、現在、文庫三冊、新書二冊、単行本三冊になってしまいました。
ええい、といつもの、小さな破裂から、数日、本当にひさしぶりに、ホッブス、スピノザ、ルソーを読み耽りました。もちろん、リヴァイアサン、国家論、社会契約論です。
昔ひいた傍線とはまったくかさならない部分に赤いマーカーを引き、そこにぼくじしんの関心の変化と、時代の関心の変化をよみとらないわけにはいきませんでした。
いったい、なんというところにきてしまったのだろう……。

サンデー毎日・連載エッセイ、最新のものです。

活言剣皆伝                          高橋敏夫
   
 こんな悪い男みたことない――「半介は目下には十手を振りかざして威張りちらし、目上には実家をにおわせて横着に振舞いつづけた。この五年で捕まえた悪党もけっこういたが、強請り同然にたかった相手はもっといる」。
 しかし、半介を「悪」といえば、華麗で極彩色の「悪」や冷酷非情な「悪」が泣く。
 せいぜい、ちんけな男、しょぼい奴か。
 しかも、時代小説に登場する岡っ引き、御用聞、目明しのほとんどがこの手合である。
 権力嫌いの松本清張には薄汚い色欲のかたまりの「犬」で、庶民びいきの山本周五郎にとってはたんなる庶民いじめのサディストだった。清廉潔白な快男児は著名捕物帳の主役だけ。
 だが、このちんけでしょぼい半介、「筋違い半介」という小説のれっきとした主人公なのである。
 登場のしかたが、じつにいい。
「どうも風変わりな男である。
 風変わりなだけでなく、迷惑な男でもある。
 『筋のとおった話は、とにかく虫が好かねえ』
 なにが気にいらないのか、真顔でそんなことをいう」。
 半介は、徳川譜代の井伊家の血縁にあたる旗本の三男坊、家をとびだし勝手に岡っ引きになると、好き放題のわるさをくりかえす。
 だが、半介の言動から、武家も町人もそれぞれの「筋」をとおすことで、なんら楽しくない、ばかばかしいまでの社会を保守していることが、あきらかになる。
 筋をとおすのが嫌いな半介、しょぼいわるさはあくまでも助走で、実家を継いだ兄の突然の自裁をきっかけに、権力の醜い「筋」を寸断するところまで一気に突っ走る。
新らしい破格のヒーローの誕生、といったところだが、作者もまた筋違いなのか、半介はいまだ短編集中の一編の主人公にとどまっている。