2013年07月23日

再開、再会 2013年7月22日

わたしの新しいインタビューが、以下に公開されています。

http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=249

2012年01月29日

2012年初のメッセージ

今や「戦争のできる社会」 開戦70周年に思う
                   高橋敏夫(文芸評論家・早稲田大学教授)
                  時事通信配信・京都新聞、福島民報他掲載
                       2011/12/7他
        
 この12月8日は、太平洋戦争の開戦70周年にあたる。
 1941年12月8日の日本時間午前2時、日本軍はマレー半島に上陸をはじめ、同3時にはハワイ真珠湾空襲を開始。米への最後通牒は同4時過ぎとなった……。
 手元の平凡社編『昭和・平成史年表』からも確かめられる所謂「奇襲」問題だが、今こうした事実に関心をむける人はどれほどいるだろう。長い戦後の出発点となった1945年8月15日さえ体験はもとより記憶も遠くなり、それ以前の12月8日もまた同様に「風化」がすすんだ――すすんだはず、だった。
 しかし、今年は、遠い開戦と遠い敗戦(終戦)がきわめて近く感じられる。しかも太平洋戦争、さらには満州事変からの15年戦争総体へと「近さ」の対象はひろがる。
理由ははっきりしている。
 多くの生命と生活が失われた東日本大震災と、大震災からの復興を妨害し、広大な土地と海を放射能汚染し続けて、現在の生活と近い未来の生命を脅かす、フクシマ原発事故である。ここまで「戦争」になぞらえ語られた、巨大な出来事が戦後あったか。
 「敗戦」論が語られ、また、「戦争がはじまった」と喧伝された。
 前者は脱原発や反原発の論者によって戦後の原子力行政、原子力産業の暴走とその帰結を糾弾するため、後者は主に政府筋やマスコミから、大震災とフクシマを一緒にした上で出来事の甚大さをアピールし「オールジャパン」体制をつくりあげるために発せられた。前者は出来事の責任を明確にしようとし、後者は、「敵」と見立てた不可抗力の自然災害に責任を背負わせた。
 わたしはどちらかといえば「敗戦」論につらなるが、ここでは、比喩としての戦争ではなく、もう一つ重要な問題を提起したい。
 3・11が明らかにしたのは、わたしたちの「いまとここ」に現存する「戦争のできる社会」ではないか。
 戦後ながらくタブー視されてきた「戦争のできる体制」構築。それは、1991年の湾岸政争を契機に戦後初の自衛隊海外派兵となった自衛隊ペルシャ湾派遣、2001年の米国9・11事件直後の自衛隊インド洋派遣、2003年のイラク戦争に応じた自衛隊イラク派遣などの積重ねの上に、2004年の有事法制成立、そして2007年、ついに防衛省誕生をみた。
 可視的な「戦争のできる体制」に対し、「戦争のできる社会」は見えにくい。しかも中にいれば、ほとんど感じられることもない。
 わたしも編集委員として参加し、この夏刊行を開始した『コレクション 戦争×文学』(集英社)の『9・11 変容する戦争』には、在日イラン人女性作家シリン・ネザマフィの「サラム」がはいっている。9・11以後の「新しい戦争」下、入国管理局に収容されたアフガニスタン人少女の、死にも等しい強制送還をとおして、日本社会にひろがる排他的な力を直視する。快活で積極的な人権派弁護士でさえ、その力と無関係ではいられない。
 内部にいる日本人作家のほとんどが見ることも感じることもできなかった社会内部の変容を、「外」からのまなざしによって浮びあがらせた貴重な試みである。
かつて15年戦争時において顕著だった、社会内部の結束を固め「敵」をあぶりだそうとする「戦争のできる社会」づくりが、とくにこの10年、進んだのではないか。駅の「テロ警戒」「不審者、不審物注意」の張り紙にもそれはうかがえよう。
 こうした「戦争のできる社会」を背景として、政府とマスコミの一方的なフクシマ「安全」連呼を、一部から「大本営発表」と揶揄されながらも、多くの人々が受け入れた。そして、「安全」を疑う者を「デマによるテロリスト」として退けた。
 主流に従う事大主義や「オールジャパン」好きは、日本人固有の傾向ではなく、「戦争のできる社会」のあらわれである。問題はつねに、普遍的なものではなく、歴史的なものとしてとらえられねばならない。
 今後、さらに壊滅的な「敗戦」に至らぬために、わたしたちはくりかえし、かつての無謀な戦争を考え、戦争の放棄を決めた戦後の出発をとらえかえしたい。
 12月8日は、その恰好の契機となるだろう。

2011年01月23日

再会!

みなさん。
ひさしぶりの書き込みです。
後退戦がつづく、つづく。
もうどこまで退いたか……。
どこから退いたのか、はっきりしませんが、よりよい後退戦であることだけを日々、願っています。
ただ、書くことだけ、です。
今年の大きな仕事は、「松本清張の最暗黒」「ヤンソギル論」です。
それに、あっという間にみえなくなった「蟹工船」をふくむ「プロレタリア文学という体験」です。あくまでも初期の「自然発生」的状況下の表現に光をあてたいと思っています。
さあ、今日は、夕方までに「週刊現代」の書評を書き上げ、夜から明日にかけては「グラフィケーション」連載の原稿、今回は桜庭一樹の『伏』をとりあげて、いろいろ考えてみたいと思っています。そのあと、名古屋講演、所沢講演、宇都宮講演……来週もどこかで、後退戦をたたかっています、いるはずです。
声をかけてください。
宇都宮で、餃子でも食べながら、明日の前進的後退戦の話でもしましょうか。

2009年09月12日

再開です!09/09/11

ずいぶんながく更新できませんでした。
また、いろいろ書きます。
再開! 再会!

2009年には、これまで三冊の本を出しました。

1 藤沢周平《人生の愉しみ》(三笠書房知的生き方文庫)

2 藤沢周平の言葉(角川SSC新書)

3 「いま」と「ここ」が現出する 高橋敏夫書評集(勉誠出版)

現在は、『プロレタリア文学という体験』と『藤沢周平を語り尽くす 高橋敏夫全講演集』とを準備しています。
このところ時代小説関係の講演で、各地を飛び歩いています。今年は、一年で八〇回ほどの講演会です。会場で声をかけてください。

2008年04月08日

2008年度講義要綱更新

管理人です。

高橋先生がお忙しく、書き込みをなさる時間がほとんどないので、私が代理で投稿いたします。

2008年度の講義要綱を更新いたしました。
今年度、受講される予定の方は一度ご覧いただければと思います。

掲示板に関して、現在プログラムの移行・変更作業等を行っておりますので、一時閉鎖させていただきます。
また、この新着情報のページも、近いうちにプログラムを新バージョンに移行しようと考えております。
その際は、コメントやトラックバック等の投稿を制限させていただくことになるかもしれませんが、ご了承願います。

その他、今後も連絡事項や新着情報がありましたら、私が代理で投稿することもあると思いますが、どうぞ、皆様今年度もよろしくお願いいたします。

2007年02月04日

ようやく再開です!

高橋です。
何ヶ月ぶりかの書き込みです。
前のホームページhttp://takahasi-tosio.com/は、、更新の入金がわずかに遅れただけで、誰かにアドレスを買い取られてしまいました。そして、妙な販売関係ホームページにされてしまいました。
多数の訪問者から、「高橋は怪しげな商売をネットで始めた」と非難されてしまいました。
そこで、http://takahasi-tosio.net/ にして再開することにしました。

あっという間に2月。この間、2冊の文庫・新書をだしました。
春まで、書き下ろしの連続です。
管理者が掲示板なども少しずつととのえてくれることになっています。
では、また。
 

2006年09月15日

気がつくともう、

気がつくと、もう、暑い夏がすぎ秋風のふく………。
この二ヶ月、ほとんど生活の記憶がありません。ことばの世界をさまよっていました。
中経文庫が発刊され、そこにおさめる『この小説の輝き!』のために「人生は………」を大幅に書き直し、毎日新聞社から出す『だれでも人は時代小説に出会わねばならない』にいれる新聞・雑誌連載原稿を書き直し、二つの新書『藤沢周平のことば』新潮新書・『藤沢周平という生き方』PHP新書のために、ひさしぶりに藤沢周平全集を精読し、メモを作り、原稿を書き………。
連載原稿はもちろん、講演、インタビューもなんとかこなし、途中、パソコンが死に、………。
とまあ、そんなこんなな、二ヶ月でした。
とはいえ、仕事はかたづかず、ふたたび沈潜します。
これからの一日、長塚圭史のパンフレット用の文章を書き、インタビュー原稿の手直しをし、台風襲来の日に予定されているドイツ人監督の村上春樹追跡映画出演のための準備をします。こんな日がつづき、あっという間に、「教員」の日々に突入です。
では。

「グラフィケーション」連載の15回目です。

鬼があらわれ、時代がうごく
――――野火迅『鬼喰う鬼』における「迅速」さをめぐって
                                 高橋敏夫

 野火迅の物語の特徴は、まずなんといっても、その「迅速」さにある。
 スピード感あふれる稀有な文体が「迅速」さを演出しているのはたしかだが、むろん文体は「迅速」さそのものではない。人々のすばやいアクション、出来事の高速展開、ときてもまだ、野火迅の物語の「迅速」さの秘密にはとどかないだろう。
 おそらくそれは、奇異なるもの、異形のものの、有無をいわさない出現にかかわっていると、わたしには思われる。
 世界の全否定者と全肯定者のあらそいを果敢にえがき、埴谷雄高の『死霊』の時代小説版とでもいうべき傑作『仏鬼』を書いた野火迅の新作は、『仏鬼』以上に「迅速」さが顕著となり、物語の冒頭から、はやくも鬼の出現となる。
 貞元二年(九七七)の冬。深夜、郡司のもとに息せき切って参じた郎党が、初子の出産を告げた――。

その報に、郡司の否瀬俊兼は奇怪な反応を見せた。太い眉を逆立て、白く燃える目で宙の一点を睨んだ。その形相が、仕事机の傍らに立てた灯の火影に映り出た。郎党は、眉をひそめつつ、おずおずと祝辞を述べた。……だが、俊兼は一言も返さない。両手に持った木簡を無造作に投げ出して立ち上がると、無言のまま、異様に力のこもった様子で刀剣を佩いた。唖然となった郎党を尻目に、大股に館内を突っ切って庁舎の外に出た。あとを追った郎党が鞍の用意をするまでもなく、俊兼は、すでに裸馬に飛び乗っていた。蝦夷の血を引く俊兼は、裸馬をまったく苦にしなかった。(中略)
何かに憑かれたように馬を駆る一方、俊兼の頭は鋭く冴えていた。おのれが直面しつつある現実がいやというほど見えていた。
(生まれてくる赤子は、この手で殺さなければならない。殺さねば、わが身の破滅)

 鬼が出現した。もはや、だれにもとめられない。「迅速」さは、いかなる説明をも遠ざけ、出現の事実だけをもたらす。


 (この手で殺さなければならない)と言い、さらに(ようやく、生まれる。この時を待っていた。生まれた子を殺すために)と反芻する俊兼は、ふつうの時代小説ではじゅうぶんに鬼であろう。
人の常識を裏切る異様なふるまいと異様な形相、そしておそるべき言葉。しかも、それらひとつひとつが、かたわらでみまもる郎党のおどろきによって、いっそう奇異さをきわだたせられる。
とはいえ、いかにも鬼らしい俊兼は、しかし「鬼」ではない。 「鬼」は、物語がはじまる前に、すでに出現していた。郎党の告げた「初子」がそれである。
 だがしかし、「鬼」は、けっして俊兼と無関係ではない。俊兼だけではなく、おどろく郎党も、子を生んだ妻も、そればかりか遠く離れた都に住む藤原道長も、陰陽師安部清明も、台頭する武家集団も、圧政に苦しむ庶民も、あるいは……この時代を生きるすべての者が、「鬼」にかかわる。だとすれば、それらすべての者のかかわりそのものが、「鬼」をうみだすのではないか――有無をいわさず出現し、物語の「迅速」な展開によって、同時代の領野へまたたくまにひろがっていく「鬼」こそ、『鬼を喰う鬼』にえがかれた独特な「鬼」なのである。
 「鬼」といえば、わたしにとってはまず、馬場あき子の『鬼の研究』である。
 一九七一年、壊滅してゆく社会反乱への鎮魂歌のごとくあらわれた『鬼の研究』。鬼を「王朝繁栄の暗黒部に生きた人びとであり、反体制破滅者ともいうべき人びと」と端的に規定し、「過去の時代に跳梁跋扈し、またつぎつぎに消滅・誅戮の運命に服した鬼どもへの深甚なる哀悼追慕の挽歌」としての「中世における〈鬼の哲学〉」に、みずからをかさねた『鬼の研究』は、鬼どもの跳梁跋扈をつぎのようにえがく。
 「藤原道長が、『この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば』という大胆不敵な奢りの一首をものした時代、すなわち一条天皇の時代くらい、藤原一門の繁栄をよそに〈鬼〉の跳梁のめざましかった時代はない。しかも、かつての、延喜・延長の治世に、わずかに足跡を止めることによってしかアッピールを果たしえなかった〈鬼〉は、今はまさに堂々たる兇族に成長して、深夜の京洛を走り、山岳部に蠢動する。権門を守る勇武の名将は輩出し、頼光・頼信・保昌・維茂をはじめ、その身内の屈強な武者たちの勇名は、ことあるごとにところどころにとどろきながら、なおかつ〈鬼〉は現実に跋扈していたのである」。
 決然として精彩をはなつ、みごとな記述である。ここに、奇異なるもの、異形なるものの出現をもたらしてやまぬ「迅速」さの原型をみてもよいだろう。
 じっさい、『鬼を食う鬼』があつかうのも、この藤原道長時代の「堂々たる兇族」の跳梁跋扈である。兇族たちの「深夜の京洛を走り、山岳部に蠢動する」さまが、あざやかにえがきだされる。

3 
 しかし、『鬼の研究』が「鬼どもへの深甚なる哀悼追慕の挽歌」であり、鬼どもの跳梁跋扈にはかならず滅びゆくものへの深い哀惜がこめられていたのにたいし、『鬼を喰う鬼』にみちみちているのは鬼どもの壊滅への哀惜というよりは、むしろ鬼どもの出現への抗しがたい期待である。
 『鬼を喰う鬼』は、そのタイトルどおり、鬼を誅戮するのもまた鬼であるとして、鬼の断絶ではなく鬼のはてしなき連鎖、すなわち鬼の遍在をえがきだす。
 いわゆる「酒呑童子退治」のヒーロー源頼光こそ、じつは鬼の首魁酒呑童子(ここでは朱天童子)の子源雷光だったという、じつに興味深い読み替えをおこなったうえで――蝦夷をはじめ王朝に滅ぼされた先住民族から、従来の土俗的な鬼、修験道系や仏教的な鬼はもとより、賎民や盗賊などの人鬼、さらには独立しはじめた武家集団などをつぎつぎに「鬼」としてとりこむ。おそらくは、『鬼の研究』以後あらわれた、トポロジカルな鬼論、鬼=疫病説などをふまえつつ。
 物語の終わり近く、源雷光は、朱天退治の仲間、金時や太郎坊にむかって問いかける。「朱天童子は、いったい、何のために人の世に現れた。あやつは、都を燃やし、御所を盗み、拉した高家の上臈を喰ろうただけではないか。心も道もない、無情の天災のごときものじゃ。そもそも、人界と関る理由のなき者であろう。そして、その種を受けたわしとて、人界に関らざるべき者。……この戦は、人の世にとって何らの意味もなさぬ。この戦がもたらしたものは、修羅だけじゃ」。
 すると、太郎坊が言う。「天は、人の世を荒らすばかりではないぞ。人の世に何か大きな変革が起る時、その前触れとして、天には大きな異変が起る。その天変は、人力を超えた無情の力を及ぼして人の世の変革をうながす。それなる無情の力の現れ方は、様々だわ。人の姿をなした鬼というのも、そのひとつであろう。……その鬼とは、源雷光、なれであろう。……朱天を人界に送った天意は、朱天みずからも覚えなかったであろう。雷光よ、考えてもみよ。朱天が現れたからこそ、なれは生まれた。朱天が鬼の世をもたらしたからこそ、なれは、源氏の長となり当代一の武将とはなった。朱天は、なれが人の世に変革を起すための花神のごときものだわい」。
 太郎坊の導きによって、「鬼」のなにものかをつかんだ雷光は、源頼義にむかって言い放つ。「阪東へ行く。やれるものなら、武士の世を作る働きをしてやろう」。
 物語は、雷光の残す「阪東にて、源氏を待つ」という謎めいた言葉の揺曳を、義経のうちにみいだして終わる。
 だとすれば、太郎坊が喝破した「天」とは、「人の世」の従来の因果がもはや通用しなくなったときあらわれるまったく新たな「人の世」、いまだ「人の世」の姿かたちをもたない新たな「人の世」であることがはっきりする。「鬼」は、その「迅速」なる出現のうごきに、異形の姿かたちをあたえる。
 時代がうごき鬼があらわれるのではない。異形の鬼があらわれてはじめて、わたしたちは、まったく異なる領野へと時代がうごきだしているのに気づくのである。

2006年07月17日

掲示板、一時閉じます。それから、アンケートのこと。

驚いた人もいるはずです。
掲示板、エロサイトの書き込みで荒らされつづけたので、一時閉じることにしました。
米友さん、おーつかさんほか、またお会いしましょう。
管理者のMくん、毎日、エロサイトとの格闘、ほんとうにごくろうさまでした。しばらくは、安眠できますね。
さて。
「論座」で早稲田の改革についてのアンケートを求められました。以下のように書きました。

(1)ベストセラーに疎く、自己紹介がへた。大勢を前にカメラのシャッターを押すのが苦手で、不必要に群れたがらず、月2万円の食費で暮らす友人がいて、突発的な出会いを除いて恋愛とはほぼ無縁にちかい。下層や下流を自慢し、運動は見るからに不得手、自分の「壊れ」を楽しみ、ときに中野のまんだらけにあらわれ、ときに『監獄の誕生』に読み耽り、権威と差別に執拗に反発し、「他人には絶対言えないなにか」を心に封印するがゆえに、ことばや映像はもちろん身体や環境にいたるまで、従来にはない表現のあり方に激越な関心をいだく……これが、わたしのみるごく平均的な文学部生像です。作家やライターや編集者、研究者や活動家、劇作家やゲームクリエーター等が続々生まれるのは当然。ほんとうに驚くべきはここから「ごく普通」の会社員やフリーターが誕生しつづけていることでしょう。こうした人々がいなかったら、ニッポンの「ごく普通」はもっともっとむごたらしく保守化しているにちがいありません。わたしは、「文学部的なもの」の学部・大学を越えたさらなる増殖、をくわだてたいと思います。
(2)「文学部的なもの」をめいっぱい体現する愛すべき学生、教員の居場所を奪う改革でないことをねがっています。

加藤典洋さん、石原千秋さんらが、学生は勉強しないと怒っているのに対し、正反対のことばを連ねました。もちろん、本心です。うそではないのですよ。
じつはこのことば、土曜の夜の文学史の講義のクラスを思いうかべながら、書いたのでした。土曜の夜というのに、大教室がいっぱい(260名)。みんなよく話しに参加してくれるので、ぼくは、いつもはりきりすぎてしまう。とくに、前から4列ぐらいの、およそ50人ぐらいの人々のいきいきとした表情に反応していたのでした。
ところが。
先週は教場レポートでした。総まとめとして、ぼくは、林達夫の「デカルトのポリティーク」について話をしようと、意気揚々と部屋に入っていきました。
なにかいつもの雰囲気とちがう。なんだ、この空気は。部屋を見渡した。すると、いつもの50人が、一人を除いて消えうせ、まったく見たことのない学生たちがすわっているではないか。その人に聞くと、「前にいた人たちみんなもぐりだったんでしょう」という。君だけはちがったんだというと、「いえ、わたしももぐりです」。
さて。
してみれば、アンケートに答えて書いたぼくのことば、まちがっていたのでしょうか。それとも。
しかしなあ、いったいあの人たちどこからきたのでしょうか。そういえば、ここ5年ばかりずっと、しずかに座っていた人もいたなあ。
うれしいような、かなしいような。

真山仁『バイアウト』の書評(北海道新聞他掲載)

経済小説の魅力は、経済に関る個人または企業の「成功」や「成就」にではなく「失敗」や「破滅」にある――城山三郎の初期小説、「ある倒産」、「総会屋錦城」、「輸出」などから経済小説の愛読者になったわたしの確信である。
 いい気な経営者サクセス・ストーリーや堂々たる社史、楽しいサプライズ広告や必ず儲かる株式指南書が氾濫するなかで、そうした「明」に隠された「暗」を経済小説は暴露する。
 すぐれた経済小説は、経済をめぐる集団の争いをとらえ、広い社会的視野を確保しつつ失敗と破滅に行き着く物語をとおし、社会批判を遂行する、といってよい。
 経済小説界の新鋭真山仁の新刊は、タイトルどおり、このところ話題をあつめる「企業買収」をあつかう生々しく、スケールの大きい、そしていくつもの「破滅」と「堕落」とがおりかさなる物語になった。
 アメリカ最大の軍産ファンドの会長、日本の新興電機メーカー・シャイン社長、有数の総合電気メーカー・曙の社員、企業再生のプロ……そして物語の主人公である外資系ファンド(世にいう「ハゲタカ・ファンド」)会長の鷲津政彦。これら主要登場人物が同時進行的に活写されるスリリングな「序曲」からはじまり、「日本という国が成長するために封じ込めてきた全ての罪を背負っている会社」である紡績が異者鈴紡の買収劇(第一部)が、ついで、「歴史と伝統に寄りかかり……殿様商売をしてきた」曙電気をめぐるTOBすなわち敵対的買収(第二部・第三部)がえがかれる。
 旧企業の腐敗、経済の「闇」を封印しようとする政治の力がつぎつぎに暴かれ、また、外資系ファンドの非情な戦略も明かとなる。関った者たちは皆深く傷つき、最終的な勝者はいない。
 「日本をバイアウトする」と言い放ちながら、「金が全ての世の中を憎悪し、資本主義なるものをぶち壊すことに血道をあげ」る鷲津の過剰なまでの存在感が、物語に激越な社会批判をもたらす。
 そして、随所に引用された坂口安吾の『堕落論』の言葉は、破滅と堕落をくぐった人の生だけが暗くかがやくことを、端的に指し示している。