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『周五郎流 激情が人を変える


<これだけは、どうしても、譲れない。>


 ■ 生活人新書 086

 ■ NHK出版 (680円+税)

 ■ 2003年11月

 ■ 222ページ

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  <目次>

        はじめに 「きわみ」と、激情と変わる人と
       第一章  これだけは、どうしても、譲れない
       第二章  不幸が不幸に交差する
       第三章  「成功」と「幸運」の違和感
       第四章  弱い者のたたかい方
       第五章  貧困と集団と理想と、ふたたび
       あとがき 「戦争」と「人間」切り捨ての時代に



(『周五郎流 激情が人を変える』冒頭より)

 いったい、「周五郎流」とはなにか。
 社会の下方へ、そして人間の下方へ、さらに下方へ、無数の不幸がおりかさなる、その暗闇の「きわみ」にまで物語は降りていき、そこでさまざまな感情を爆発的に生成させる。不幸ゆえの激情があらわれ、そこにまぎれもなく新しい、ゆたかな「人間」が出現する。あらゆる事態に直面して苦悶し、号泣し、哄笑し、激怒し、それゆえに歓喜の表情を隠さない「人間」が。するとどうだろう、そこには今まで見えなかった「人々」がうかびあがる……。それが「周五郎流」である。
 いいかえれば、人生の「きわみ」に直面した者の、新しい、ゆたかな「人間」生成の物語にして「人々」発見の物語。これが「周五郎流」である。
 そして、もちろん、「周五郎流」とは、作家山本周五郎がその作品において実現しつづけた流儀(独特なやり方)にほかならない。池波正太郎「調」でも司馬遼太郎「的」でも、また藤沢周平「風」でもなく、山本周五郎「流」、である。山本周五郎には、作品のありかたのみならず、作家的な姿勢においても、「流」(流儀)がよくにあう。
 山本周五郎(一九〇三〜一九六七)。
「曲軒」と畏敬され「山周」と愛称された山本周五郎―――不幸の「きわみ」に接する人々に、不幸の「きわみ」に直面する時代に、かならずよびもどされる山本周五郎は、その流儀ゆえにいつも、ふかく、おもく、新鮮である。



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