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2006年07月17日

真山仁『バイアウト』の書評(北海道新聞他掲載)

経済小説の魅力は、経済に関る個人または企業の「成功」や「成就」にではなく「失敗」や「破滅」にある――城山三郎の初期小説、「ある倒産」、「総会屋錦城」、「輸出」などから経済小説の愛読者になったわたしの確信である。
 いい気な経営者サクセス・ストーリーや堂々たる社史、楽しいサプライズ広告や必ず儲かる株式指南書が氾濫するなかで、そうした「明」に隠された「暗」を経済小説は暴露する。
 すぐれた経済小説は、経済をめぐる集団の争いをとらえ、広い社会的視野を確保しつつ失敗と破滅に行き着く物語をとおし、社会批判を遂行する、といってよい。
 経済小説界の新鋭真山仁の新刊は、タイトルどおり、このところ話題をあつめる「企業買収」をあつかう生々しく、スケールの大きい、そしていくつもの「破滅」と「堕落」とがおりかさなる物語になった。
 アメリカ最大の軍産ファンドの会長、日本の新興電機メーカー・シャイン社長、有数の総合電気メーカー・曙の社員、企業再生のプロ……そして物語の主人公である外資系ファンド(世にいう「ハゲタカ・ファンド」)会長の鷲津政彦。これら主要登場人物が同時進行的に活写されるスリリングな「序曲」からはじまり、「日本という国が成長するために封じ込めてきた全ての罪を背負っている会社」である紡績が異者鈴紡の買収劇(第一部)が、ついで、「歴史と伝統に寄りかかり……殿様商売をしてきた」曙電気をめぐるTOBすなわち敵対的買収(第二部・第三部)がえがかれる。
 旧企業の腐敗、経済の「闇」を封印しようとする政治の力がつぎつぎに暴かれ、また、外資系ファンドの非情な戦略も明かとなる。関った者たちは皆深く傷つき、最終的な勝者はいない。
 「日本をバイアウトする」と言い放ちながら、「金が全ての世の中を憎悪し、資本主義なるものをぶち壊すことに血道をあげ」る鷲津の過剰なまでの存在感が、物語に激越な社会批判をもたらす。
 そして、随所に引用された坂口安吾の『堕落論』の言葉は、破滅と堕落をくぐった人の生だけが暗くかがやくことを、端的に指し示している。